11/2、Marca記事。(要点翻訳)
アルトゥーロ・ビダルは火曜日に13回目のレアル・マドリードとの対戦を迎える。
今までユベントスで4回、バイエルンで2回、バルセロナで6回マドリーとの戦いを経て、インテルのシャツを着た最初の対戦となる。
このチリ人はSNS上でマドリーを酷く嫌う人の1人となった。しかし彼はその白いシャツを着ることを夢見ていた人でもあった。
これはマドリディスタからアンチマドリディスタになった物語だ。
ビダルの自伝「Vidal, su historia」(著者ニコラス・オレア)の章の一つは「Camino a Madrid(マドリーへの道)」と題されている。
ビダルの母親、ジャックリーン・パルドは、「彼をヨーロッパのレアル・マドリードでプレーさせる。」と話していた。
コロコロ(ビダルがユース時代に在籍したクラブ)の用具係ネルソン・ピサロは、「彼の夢は常にレアル・マドリードでプレーすることだと私に言っていたよ。」と語っている。
ビダルは2011年にレバークーゼンからユベントスに移籍する際に、マドリーに辿り着くためのステップだと話していた。
(その後2014~2015年)ビダルはアンチェロティ(当時マドリー監督)が獲得を望むターゲットになった。”Plan V”だ。
「アルトゥーロはマドリー行きたかった。彼は熱心だった。」彼の親友であるウーゴ・ゴンザレスはそう説明する。しかしマドリー移籍は実現しなかった。交通事故や彼のピッチ外での生活についてのネガティブな報告がオペレーションを妨げたのだという。
そしてビダルはバイエルンに移籍した。
マドリーでプレーするという夢に失望した後、彼のマドリーに対する怒りはバイエルン時代に見られる。
2016-17CL準々決勝、ビダルはベルナベウで退場となった。試合後、彼はミックスゾーンに現れこう語った。
「2つのゴールがオフサイドだ。カゼミロは俺より前に退場になるべきだった。彼らが試合を盗んだ。」
翌シーズン2017-18、マドリーとバイエルンは準決勝で再び戦ったが、その前の準々決勝ユベントス戦。0-3のアディショナルタイムでバスケスがファールを受けマドリーはPKを得た。これに対しビダルはSNSに、
「違う、何もしていない!それが再び起こっている。」
と書き込んだ。
(「(ベナティアはバスケスに) 何もしていない、(マドリー寄りの判定が) 再び起こっている」ということ。)
怪我で出場できなかった準決勝では、マルセロのハンド疑惑を再びSNSで不満を表した。
(2018年)そしてビダルはバルセロナに移籍。入団会見では「自分はアンチマドリディスタではない。バルセロナと対戦する全てのチームのライバルだ。」と語っている。
しかしSNSでの攻撃は続く。最後は7/5ビルバオ戦、マルセロが得たPKの後だった。
今週火曜日、アルトゥーロ・ビダルは彼にとって悪魔であり、子供の頃に夢見ていたマドリーにバルデベバスで再会する。